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「ある」と言うしるし。牧谿

牧谿は中国、南宋の画家。プロフィールの絵は牧谿の『遠寺晩鐘図』の一部。ちっちゃいし、ぼんやりしていて何だか分からないけれど、良く見ると、遠く山寺が見える。霧に煙る木立。白金台の畠山記念館で、二年位前に展覧会がありました。

まあ、どうせプロフィールだしとか、はじめは、まあ写真とかなんとかいろいろ考えた訳です。でもなんかねえ。釈然とせず。実は、コリッチの登録の時、写真が無くって、まあいっかって感じで、偶然有った『遠寺晩鐘図』の一部をアップしたんだけれど、ほんとプロフィールの写真よりもっと小さいし、何だこれ? ってな感じもするんだけれど、なんか気に入って。だったら、こっちもそれでと言う事です。
晩鐘2

本、買いました。久しぶりの衝動買い。『西洋哲学史 Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』(講談社メチエ)。副題に惹かれた訳です「ある」の衝撃からはじまる。「ある」って、分かってるようでよう分からん。そんでもってギリシャ、自然哲学者パルメニデスの断片「あるはある」です。その解説から、始まる。プラトンの『パイドロス』の二頭立ての馬車とか『国家』の最後のエルの物語も、なんかパルメニデス起源のようで、確かにイデアと言うのも、理想・真実も、それが「ある」と言う核心の元に成立する。
そんでもって、パルメニデスの「ある」とは、主語の存在しない。それだけでの「ある」。そんでもってその「ある」への道程の印、道しるべ、それは「不生・不滅・一つ・全体・不動・完璧」とか。

なんだそりゃ?って感じもるんですけれど、その六つの印は確かに、死すべき人間が辿り着くには困難なもの、だって人間は有限だもん。でもね、だったっとしたら、なんでそんなもんが「ある」?って事にもなる。六つの印は、無限への道かな。でも有限なつまり「ない」と言う宿命を背負った人間がなんで、そんな無限を思惟出来るのかなあ、そうか、人間の本生は「ない」ではく「ある」、つまり無限なのかもしれない。

もちろん、そりゃあ「言葉」でしょ! なんて言ってしまえば元も子も無いけれど、でもねえ、『遠寺晩鐘図』とか見てるとねえ。はじめは、みんなシミにしか見えないんですよ。なんせ800年も前の水墨画ですから、豪華絢爛からも程遠く。力強い「黒」とかでは全く無く。でもねえ、じっと見てると、鐘の音とかは聞こえません。夕刻、遠くに晩鐘が聞こえるとか解説には有りますけれど、そこまで陶酔はしない、とは言え、その気持ちは何となく分かる。ただぼんやりと微かにしか見えていない木々が、だからこそなんだろうけれど、見え隠れしているように、霧がうごいてぼんやりと流れているようにも見えてきます。
晩鐘図

この風景、どこにもあるだろうな風光明美ななにかを微かに伴いながら、これ見よがしではなく「微かに微かに」何か、精神が動き出すその一歩手前で、しかし、そのてんだけはしっかりと、「不生・不滅・一つ・全体・不動・完璧」とか。フェルメールにしろ牧谿にしろ、そんなことはこれっぽちも気にかけず、そんな「無限」を印し、でもなあ・・・。
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