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二期会公演 ワーグナー『パルジファル』

久しぶりのオペラでした。ここ最近はワーグナー位しかいかないから、前回も確か、演奏会形式の『パルジファル』だったような。『パルジファル』もう数回は聞いてるんだなあ。
でも、今回の『パルジファル』は特に良かったです。指揮の飯守泰次郎さんと、読売日本交響楽団が素晴らしかった。

23年前に、ウィーン国立歌劇場の引っ越し公演で聞いた時は、「やったら長いだけの詰らないオペラだなあ。」としか思わなかったんですけれど、それからこつこつと何か離れがたく、じょじょにじょじょに少しづつ世界に浸透して、やっぱりワーグナーの音楽って素晴らしいんだよね。

特に今回の公演は演奏がよかったなあ。普通だと、一幕は詰まらないんで、「お休みタイム!」と言う事で寝る事にしてるんだけれど、ずっと見いってしまいました。一幕は大きく二つの部分で出来て、そこを繋ぐ「場面転換の音楽」。だいたいいつもだと、そこいら辺でおきる。でも、今回はずっと見てました。
それで「場面転換の音楽」がはじまると何だか「グッ」と来ちゃって、やばい。なんでだろう眼頭が・・・あらあら涙がこぼれちゃいました。そんな場面じゃないんです。でも、ワーグナーの音楽には嘘がないんだろうな、それが、指揮者、オケの白熱した情熱で伝わってきた感じです。

台本もワーグナーが書いてます。ただ戯曲としては詰まらないですよ。やたら長いのは説明台詞のオンパレードだからだし、思想的にも問題がある気がする。

主人公パルジファルは、馬鹿で無知な愚か者で、その青年の成長物語。胸に受けた傷に苦しむアンフォルタス王を助け、その王に代わって王位に就くと言うのが、おおまかなあらすじ。

ただアンフォルタスは、胸の傷と言いキリストを連想させるし、その救世主を、愚か者のパルジファル(精神的にはワーグナー個人ともとれる。)が救うことによって世界を救済する。
なんかちょっと間違えば独裁者の誕生を連想する。
今回の演出は、ラスト、パルジファルが軍服を来て騎士たちの前に現れる。ナチスのようにも見えた。どうも、後で調べたらそう言う意図の演出だったらしい。
まあ、確かに、途中で聖戦とか、騎士とか言う話だし、これって十字軍の話? みたいにも取れたので、そういう演出も仕様がないのかもしれない。

まあワーグナーと言えばニーチェで、ワーグネリアンであり、神のようにも崇拝していたワーグナーの『パルジファル』の台本を読んだニーチェが、それ以降、ワーグナー批判に転じるのはワーグナーの思想のそう言う危険性に気付いたからかもしれない。

ただ戯曲だけだったら、残らないだろうなあ。

やっぱり音楽なんですよねワーグナー。多少の誇張や冗長さはあるものの、ワーグナーの音楽は人間の感情の起伏をきちんと表現できてるんだと思う。特に、苦しみ、そして喜び。苦悩やそこからの回生。

クンドリって女がいる。クンドリの苦しみ。
それはキリストの姿をみて「笑って」しまった事。苦しみの重さでもある十字架を背負った救世主がゴルゴダの丘を登っていく、その姿。
呪いの中に閉じ込められ、騎士たちを誘惑し堕落させていく。
「笑え! 笑え! 泣くことはできない、叫び、怒り、暴れ、猛り狂うだけ。」そんな苦しみ。でも苦しみだけではない、堕落は快楽でもあるし、官能でもある。その快楽ゆえにその地獄からは抜け出せない。それに誰にだって有る筈、苦しんでる人間への嘲り。見下ろす時の優越感と快楽。だからそこをきちんと抑えていないと、クンドリの苦しみは音楽として伝わってこない。

ワーグナーの音楽はその心の細部まできちんと折り込んである。だからやっぱり素晴らしいんだと思うんだよね。そして、その苦悩を乗り越えた時の、澄み切った世界、そこで生まれる純粋な喜び。それが三幕の「聖金曜日の音楽」に昇華していくんだと思う。

ただ、今回の演奏だと、3幕はちょっと弱かったかな。「聖金曜日の音楽」もサラって感じで。オケもちょっとお疲れだったのか。演出が邪魔してた感じもする。台本の流れの立体化に重点が置かれて、音楽自体が持つ豊かさの表現が、ちょっと蔑ろ。まあ最近の演出ってどうしても、そうなりがちだし、世界的に言うと、演出家の解釈って奴を、きちんと視覚的に表現しないと、演出もやらせて貰えないのかもしれないんで仕様が無いんだけれど、やっぱりあれだけの演奏、音楽があるんだから、そういうのは勿体ない気がする。

オペラような様々な要素が混在する公演で、全てに満足ってことは無理だと思う。だけれど、それにしても良かったなあ。

舞台神聖祭典劇『パルジファル』全3幕
会場: 東京文化会館 大ホール
指揮:飯守泰次郎
演出:クラウス・グート
美術:クリスチャン・シュミット
照明:ユルゲン・ホフマン
映像:アンディ・A・ミュラー
振付:フォルカー・ミシェル
演出助手:家田淳、太田麻衣子
合唱指揮:安部克彦
舞台監督:大仁田雅彦
公演監督:曽我榮子
キャスト
アムフォルタス:黒田博
ティトゥレル:小田川哲也
グルネマンツ:小鉄和広
パルジファル:福井敬
クリングゾル:泉良平
クンドリ:橋爪ゆか
2人の聖杯守護の騎士:加茂下稔、北川辰彦
4人の小姓:渡海千津子、遠藤千寿子、森田有生、伊藤潤
6人の花の乙女たち:青木雪子、坂井田真実子、岩田真奈、鈴木麻里子、磯地美樹、小林紗季子
合唱:二期会合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団
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アデニア 鉢山町のブラッスリー

公演も無事に終わり。今回は役者・古口くんの彼女に大変お世話になりました。叩きまでやって貰ったり。そのお礼もかねて、古口・マリエちゃんと三人でお食事です。

この所と言うか、演劇に携わるようになってからグルメ関係はご無沙汰です。お金無いしね。その前は結構行ってました。何せバブル世代ですから。レストラン関係の名刺入れ久しぶりに見直したら、随分と閉店の店もあるんだなあ。逆に「ええ! あの店まだ有るんだ?」とか、インターネットだとすぐ調べられるんで便利ですね。

そんな中で見つけたのが、今回行った「アデニア」です。まだ開店して半年とか。渋谷から代官山方面に歩いて10分ちょっとかな、鉢山町の、ちょっと暗くて寂ししい所にありました。シェフは、ニューヨーク・グリルで働いていたとか、大味かなあ? とかも思ったんですが、そんなことは無く繊細な感じでした。

ただ、ネットの情報だとポーションが多くシェアして充分とあったのですが、そこまで量が多いとは感じませんでした。

高田馬場のラミティエさんとか神楽坂のル・ディッサンで、一人分として給される量をみてると。そんなに多くは無いかな。ただ、丁寧に作ってあるんで満足感はあると思います。

それにサービスが非常に丁寧でかつそつがない。恐らく、大きなところで経験を積んだ方なのか、あしらいが上手い。それにスマート。
ワインも状態良かったです。カリフォルニアのカベルネ(HAWKSかな)だったんですけれど、ボルドーグラスに注がれた時の感じが非常に良い。跳ね具合と言うか、泡立ち具合と言うか、ああこれは良い状態のワインなんだなって、すぐ分かりました。なかなか無いんですよ、そういう「生きた」感じってね。

ただ、初めにスパークリングワイン、これが南オーストラリア、赤がカリフォルニア。ブラッスリーなんで、食堂と言うかカフェの上級編の感じになるのかもしれないけれど、何かが足りない。場所で言えば、中目黒から代官山、恵比寿、広尾にかけての地区って土地自体がもつ色は落ち着いているけれど、洗練された独自性がある。もし、アデニアが青山とか西麻布、丸の内とかにあったら、しっくりとくるようにも思ったんです。でも鉢山町と言う少し行くと代官山かたや渋谷となると、あのシンプルさは寂しさを感じさせてしまう。

スマートすぎるのかな、逆に根なし草のような危うさ。

旧世界のワイン、フランスやイタリアワインってそれだけでしっかりと根を張っているような安心感がある。なにか統一されているような満足感かな。そんな所があれば、もっと良くなるような、そんな感じもしました。

でも、近くにあったら、非常に便利です。

アデニア
東京都渋谷区鉢山町1-7
03-5489-5151
http://adenia.jp

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『真珠の耳飾りの少女』 マウリッツハイス美術館展 東京都美術館

『デルフトの風景』が来るかなあ? と思いつつ・・・。やっぱり来ませんでしたね。『マウリッツハイス美術館』展。

去年位だったかな、『真珠の耳飾りの少女』が来るって朝日新聞の記事が有ったんで、これはもしかして『デルフトの風景』もくるかな? なんて思ってたんです。展覧会のチラシが出来るのも遅いし、なかなか展覧作品もはっきりしない、うーん、交渉はしてて結局駄目だったということなのかな、詳細は不明ですけれど。

プルーストが、最大の絵画と言った『デルフトの風景』は確かに見たかったなあ。まあ、ハーグにまで行けばいい訳ですけれど。ハーグ市立美術館で展示されてるみたいです。

そんなことが有ったのと、公演ですね、8月半ばに公演があったのでなんとなく先送りになってました。東京都美術館の『マウリッツハイス美術館 展』行くのが遅くなっていました。

フェルメールと言うと混雑は当たり前の東京ですけれど、朝一で行って、そうするとどんどん混んでいきます。そうだ狙いめ夕方、閉館間際です。

閉館なんで、人はどんどん居なくなる。『真珠の耳飾りの少女』は、近くで見るのにだいたい30分待ちです。肩越しにならすぐ見れるけど、やっぱり近くで見たくなるもので。閉館間際だと、何度も並べるしすぐ順番がまわってくる。

この少女の絵。有名だけれど、フェルメールっぽくはない。なにせ背景が無い訳です。あの窓から差し込む光の魔術は見られない。だからあんまり期待はしてなかったんです。でも、やっぱり本物を見ると、凄い絵でした。

初回に行った時は、混んでたんで人の肩越しに見てたんですけれど、この絵、生っぽいんですね。なんでだろう。それで、先にも書いたとおり暫くして夕方に行って近くで見たんですけれど、眼が、まるで本物の眼球のように見える。微かに開いた口元も、そこからちらりと見える舌と歯も、まるで本物の血と肉で出来てるように生っぽい。この絵は、フェルメールの絵の中でも対象への距離が一番近いと思います。それに他の雑多な物がない。だからこそ、そこまで器官としての肉体を丁寧に描くことができた。

例えば『画家のアトリエ』の背景の壁に掛った地図の正確な描写には驚くし、『ワイングラスを持つ若いドレスの女』の赤い服の、絹地の光沢と、縫い目まで露わな正確な描写にも驚きます。でも確かに人は遠く、ここまで正確には描かれていない。

それにこの絵には教訓めいた寓意をいれる余地もない。なにせ女の子が一人ですから。でも丁寧に正確に、ただ対象と対峙している。

ちょうどレンブラントの絵も有りました、あの後期の自画像。でもフェルメールには自画像がありません。『画家のアトリエ』の画家がそうだとも言われているようですが、後姿だけだし。恐らくフェルメールにはそういう欲求もなかったのかなあとも思いました。

レンブラントの絵も凄いけど、ちょっとそう言う所がある。「私」と言う何かが垣間見える。でもフェルメールの絵にはそれがない、ただ対象に忠実に、でもたんに描いて行く、ただそれだけの凄さ。

簡単なようで難しいなあ。ちょうど公演も終わって、こういう作品に向かうと、なんと自分の小さな事か、まあ比べるのもおこがましいけれど、それはそれで道は遠く、でもあるだけ幸せなのかなあとも思いつつ。

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オカダヒサオ

Author:オカダヒサオ
本書きです。公演もする事になりました。

公演情報と、その他もろもろ、書きます。

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