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明滅する「黒」 木の葉天目茶碗 

サントリー美術館が、赤坂見附から、六本木のミッドタウンに移ってからもう5年位たったりして、でもはじめてのミッドタウン、サントリー美術館でした。「大阪市立東洋陶磁美術館コレクション 悠久の光彩 東洋陶磁の美」展。

大阪の東洋陶磁美術館の引っ越し展示ってな感じ。目玉は、国宝「飛青磁花生」、「油滴天目茶碗」かな。まあ、でも重要文化財の「木の葉天目」に目が行った訳です。
konoha tennmoku 1

葉っぱの葉脈の模様。偶然かな? でも偶然にしてははっきりし過ぎてるし、描いた? うーん? 家に帰ってから調べたら、釉薬の上に葉っぱをのせて焼くと、木の葉が釉薬の役割を果たして、あの紋様が出るのだそうです。実際の「葉っぱ」だった訳。

このお茶碗、形がモダンなんですよね。口の開いた平碗型で、そのバランスが良い。それに「黒」。南宋の時代の一品なので、その黒が、開放的でかつダイナミック。日本の瀬戸黒や、その後の長次郎の奥行きのある「闇」を連想させるような黒ではなく、どこまでも拡がっていくような、陽性の「黒」。
konoha tennmoku 2
ただねえ。これはどうも「葉っぱ」が邪魔のような気がする。あまりにリアルにそこに浮かんでいるような「葉」。もちろん技術としては、それは至難の業なのかもしれないけれど、もしこの葉っぱが無かったら。創成期の宇宙のように一瞬の内に明滅する活力に満ちた「黒」だけの世界が広がったようにも思う。
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「ある」と言うしるし。牧谿

牧谿は中国、南宋の画家。プロフィールの絵は牧谿の『遠寺晩鐘図』の一部。ちっちゃいし、ぼんやりしていて何だか分からないけれど、良く見ると、遠く山寺が見える。霧に煙る木立。白金台の畠山記念館で、二年位前に展覧会がありました。

まあ、どうせプロフィールだしとか、はじめは、まあ写真とかなんとかいろいろ考えた訳です。でもなんかねえ。釈然とせず。実は、コリッチの登録の時、写真が無くって、まあいっかって感じで、偶然有った『遠寺晩鐘図』の一部をアップしたんだけれど、ほんとプロフィールの写真よりもっと小さいし、何だこれ? ってな感じもするんだけれど、なんか気に入って。だったら、こっちもそれでと言う事です。
晩鐘2

本、買いました。久しぶりの衝動買い。『西洋哲学史 Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』(講談社メチエ)。副題に惹かれた訳です「ある」の衝撃からはじまる。「ある」って、分かってるようでよう分からん。そんでもってギリシャ、自然哲学者パルメニデスの断片「あるはある」です。その解説から、始まる。プラトンの『パイドロス』の二頭立ての馬車とか『国家』の最後のエルの物語も、なんかパルメニデス起源のようで、確かにイデアと言うのも、理想・真実も、それが「ある」と言う核心の元に成立する。
そんでもって、パルメニデスの「ある」とは、主語の存在しない。それだけでの「ある」。そんでもってその「ある」への道程の印、道しるべ、それは「不生・不滅・一つ・全体・不動・完璧」とか。

なんだそりゃ?って感じもるんですけれど、その六つの印は確かに、死すべき人間が辿り着くには困難なもの、だって人間は有限だもん。でもね、だったっとしたら、なんでそんなもんが「ある」?って事にもなる。六つの印は、無限への道かな。でも有限なつまり「ない」と言う宿命を背負った人間がなんで、そんな無限を思惟出来るのかなあ、そうか、人間の本生は「ない」ではく「ある」、つまり無限なのかもしれない。

もちろん、そりゃあ「言葉」でしょ! なんて言ってしまえば元も子も無いけれど、でもねえ、『遠寺晩鐘図』とか見てるとねえ。はじめは、みんなシミにしか見えないんですよ。なんせ800年も前の水墨画ですから、豪華絢爛からも程遠く。力強い「黒」とかでは全く無く。でもねえ、じっと見てると、鐘の音とかは聞こえません。夕刻、遠くに晩鐘が聞こえるとか解説には有りますけれど、そこまで陶酔はしない、とは言え、その気持ちは何となく分かる。ただぼんやりと微かにしか見えていない木々が、だからこそなんだろうけれど、見え隠れしているように、霧がうごいてぼんやりと流れているようにも見えてきます。
晩鐘図

この風景、どこにもあるだろうな風光明美ななにかを微かに伴いながら、これ見よがしではなく「微かに微かに」何か、精神が動き出すその一歩手前で、しかし、そのてんだけはしっかりと、「不生・不滅・一つ・全体・不動・完璧」とか。フェルメールにしろ牧谿にしろ、そんなことはこれっぽちも気にかけず、そんな「無限」を印し、でもなあ・・・。

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ごつごつして、困難な。 レヴィナスの書物

いやあ身体をちょっとね、壊しました。背中が痛い、首が廻らない。整体に行ったら、身体が全体的に弱っているとか、ちょっと根詰めて『フォーク』の書き直しとかやってたし、年末の疲れがでたかな、フォークは寝かして。休憩、休憩! と言うことで、コンラッドも読まない。なんにしようかなあ? ああそうだ中途でやめていたレヴィナスの『存在の彼方へ(存在するとは別の仕方で, あるいは存在することの彼方へ)』(講談社学芸文庫)にしよう。

エマニュエル・レヴィナスはフランスで活躍した哲学者。第二次大戦中にフランス軍の通訳として従軍し、ドイツの捕虜として強制収容所で終戦を迎えたとか。しかし、出身のリトアニアでは、両親を含む親族が殺害されたそうです。
ハイデッガーの後に続く哲学者になるのかな。

『存在の彼方へ(存在するとは別の仕方で, あるいは存在することの彼方へ)』は超難解。そんでもって、前からあった『倫理と無限』、これは対話形式になっていて入門編みたいな感じもあるんで読み返してたら見つけました。

「そしてまた、存在の基礎的な関係は、ハイデッガーにあっては、他人との関係ではなく、死との関係であり、死においてこそ、人は一人で死ぬのですから、他人との関係の中にある非-本来的なものが暴かれるのです。」
エマニュエル・レビナス『倫理と無限』朝日出版社 原田佳彦訳

私が一番読んでいる哲学者はハイデッガー。ただ。主著の『存在と時間』ではなくて、転回以降とも第二期ともいわれる、ヘルダーリンの詩の論考や、語源学、ギリシャの自然哲学者、パルメニデス、ヘラクレイトスに関しての書物。
ああそうか、だからハイデッガーの書物の、そこに惹かれる訳だ、私は。って妙に腑に落ちた。

「芸術には残酷な法則があって、それは、人々が死んでこそ、また私たち自身がありとあらゆる苦悩をなめつくして死んでこそ、草が生い茂るということだ、忘却の草ではなく、永遠の生命の草、豊潤な作品がうっそうとしげる草が。」マルセル・プルースト『失われた時を求めて-見出された時』より

プルーストが言う通りに、芸術作品とは「死」の上に成り立つ。もちろん作品自体は永遠に通じる何かと通じ合って初めて作品として成立する訳だから、それは「永遠」だ。そして、その永遠の側に立つこと、その分析、研鑽、それは確かに素晴らしい。
ただ、生きて「顔」を持つ人間の世界では無くなる、それは神の世界とでも言おうか、ただ、やはり私は人間でしかない。理想は理想として、現実の方が上だし。人間、やっぱりそのままでの「人間」ってやつを表現したいな。そうなると、ハイデッガーよりはレビナスの方に行かざるを得ないのかな。

ハイデッガーは難解とは言われるけれど、なんかすーって入って来る。ただ、レヴィナスは入って来ない、でも次に続いて行く。言葉「傷」「可傷性」「強迫」「近さ」「身代わり」「顔」、何の説明も無しに唐突に迫ってくる言葉。
「哲学のすべてがシェークスピアについて省察することのように思える」『時間と他なるもの』(レヴィナス・コレクション ちくま学芸文庫)と述べる、おそらくその言葉が、台詞に近い力強さに満ちているからなのかもしれない。でも「人間」って、やっぱり一筋縄ではいかないし、美しいだけのものじゃない。ごつごつして困難で、でも惹かれてしまう。

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「われら悩みの極みにありて」  バッハ『フーガの技法』 リフシッツ

久しぶりのコンサート。紀尾井ホール、コンスタンチン・リフシッツ Konstantin Lifschitz のピアノで、バッハ『フーガの技法』BWV1080。

リフシッツは1976年ウクライナ生まれのピアニスト。初めてでした。CDも聞いた事なし。名前をちょっと聞いた事があった位かな。76年と言うと、今年36歳。その年齢で、あの『フーガの技法』のCD録音もあるとのこと、真摯な演奏でした。

ちなみにこんな曲が並びます。

コントラプンクトゥス1 原形主題による単純フーガ(4声)
コントラプンクトゥス2 変形主題による単純フーガ(4声)
コントラプンクトゥス3 転回主題による単純フーガ(4声)
コントラプンクトゥス4 転回主題による単純フーガ(4声)
コントラプンクトゥス5 変形主題とその転回に基づく1種類の時価による反行フーガ(4声)
コントラプンクトゥス6 変形主題とその転回に基づく2種類の時価による反行フーガ(4声)
コントラプンクトゥス7 変形主題とその転回に基づく3種類の時価による反行フーガ(4声)
コントラプンクトゥス8 2つの新主題と変形主題による三重フーガ(3声)
コントラプンクトゥス9 新主題と主要主題による二重フーガ(4声)
コントラプンクトゥス10 新主題と変形主要主題による二重フーガ(4声)
コントラプンクトゥス11 2つ(3つ)の新主題と変形主要主題による三重(四重)フーガ(4声)

コントラプンクトゥス12a 主題の変形による鏡像フーガ(4声)正立形
コントラプンクトゥス12b 主題の変形による鏡像フーガ(4声)倒立形
コントラプンクトゥス13a 変形主題とその転回による鏡像フーガ(3声)正立形
コントラプンクトゥス13b 変形主題とその転回による鏡像フーガ(3声)倒立形
反行と拡大によるカノン(2声)1742年版自筆譜による異稿
反行と拡大によるカノン(2声)
8度のカノン(2声)
3度の転回対位法による10度のカノン(2声)
5度の転回対位法による12度のカノン(2声)
3つの新主題(第3主題はB-A-C-H)による未完フーガ(4声)
コラール「われら悩みの極みにありて」BWV668a

コントラプンクトゥスは対位法と言う意味らしい。途中15分休憩で2時間。近くの女性が休憩のときに「苦行のようだね!」って言ってたけれど、確かに耳に心地よい音楽などではなく、極めて極めてその先に到達したような一部の隙も無い世界。バッハの晩年、視力の低下とともに未完に終わった作品。

ちょうど二階のバルコニー席だったので、弾いているリフシッツが正面に見えました。陶酔するでもなく、いわば淡々と弾いているそんな印象。途中、ちょっと緊張が緩んだ印象もあったけれど、おおきなミスタッチもなし。でも何が去来するのかな。演奏中の演奏者って。300年近く前に、地道に地道に作られた楽譜。フーガの技法は、楽器の指定が無いらしく、様々に演奏されている。

持っているCDも、ヴァルヒャ=オルガン、グールド=オルガンとピアノ、シェルヘン=オーケストラて感じ。

もちろん人は死ぬし、バッハであろうとモーツァルトであろうとシェークスピアであろうと、その肉体は滅びてしまう。でも、作品は痕跡ではないんだろうなあ。楽譜や戯曲は、その精神の形なのかな? そしてそれが再び、形を成すときに確かにそこには何かが確固として「ある。」。それをバッハと呼ぼうがシェークスピアと呼ぼうが、その確固としてあるものがもっと強い何かとしてこちらの何かに触れてくる。もちろん鑑賞者は、その内部、つまり個人的にそこに快楽を見出すだけだし。その感動が同時に何かに共振することはない。鑑賞は鑑賞だ! どんなに感動しただの、凄いだのほざいた所で、その時に、真に此方を振るわせた何かに到達することなどは出来ない。

未完フーガと呼ばれる、最後の曲が途中で終わる。バッハはそこで死んだそうだ。そして後に出版された楽譜にはコラール前奏曲「われら悩みの極みにありて(汝の玉座の前に今や歩み寄り)」BWV668aがつけられたそうだ。バッハが死の床で口述筆記させたと伝えられる曲だとか。

未完フーガでリフシッツは、すこし前かがみで演奏していたように思う。でも、音の一つ一つ消え入りそうに聞こえるその音が、何かいまわの際を連想させる。厳しいあまりに厳しい。CDで聞いていると、最後のコラールはちょっと余計な気もする。ヴァルヒャの演奏にはこの曲は入っていないので、なんともいえないそのプツリと途切れる深淵を感じるが、やはり演奏会で聞くと、あまりに厳しく辛い、プツリと途切れた後にコラールが始まると、会場からも、少しホッとした安堵の呼吸が聞こえたようにも思う。

しかし、「われら悩みの極みにありて」か・・・。

以下パンフレットに、技法とかに関して記述があったので引用しときます。

 [主題の変形]
 転回…音型を上下反転させる。こうして作られた主題を「転回主題」と呼ぶ。もし主題が上行音形であれば、「転回主題」は下降音形となる。

 拡大・縮小…音符の長さ(時価)を2培にする(拡大形)、または1/2にする(縮小形)。主題の原形と拡大形(あるいは原形と縮小形)が組み合わされることを「2種類の時価による」という。
 その他の変形…主題の一部の音価を変えたり(例えば「8分音符+8分音符」を「付点8分音符+16分音符」に変える)、音を加えたりする。こうして作られたものを「変形主題」と呼ぶ。
 こうのようにして様々に変形された主題を用いて「フーガ」と「カノン」が形作られてゆくのであるが、その種類も様々である。

 [フーガおよびカノンの種類]
 単純フーガ…1つの主題を原則的に形を変えずに用いたフーガ。その構成は、主題が複数の声部に順々に現れる「提示部」と、「提示部」から「提示部」への橋渡しをする「嬉遊部」とが交互に置かれる形で進み、終結近くでは「追迫」と呼ばれる主題提示の手法(前の声部が主題を終えないうちに次の声部に主題が導入される)が用いられる。

 反行フーガ…単純フーガとの違いは原形主題と転回主題をほぼ対等に用いることで、
最初の声部が原形主題を提示し、次の声部が転回主題を提示するといった形で進む。

 多重フーガ…複数の主題を用いたフーガ。その主題の数に応じて「二重フーガ」、「三重フーガ」、「四重フーガ」と呼ばれる。バッハが好んだ構成は、最初の提示部では第1主題のみが提示され、続く提示部で第2主題を第1主題に組み合わせて提示する、といった形で進む。

 鏡像フーガ…転回対位法によって作られ、3声部または4声部で書かれたそのフーガの楽譜を鏡に映して上下反転させても対位法として成立する曲。もとの形を「正立形」、鏡に映したものを「倒立形」と呼ぶ。正立形がバスの主題提示で始まるなら、倒立形はソプラノによる転回主題の提示で始まることとなる。

 8度のカノン、10度のカノン、12度のカノン…「カノン」とは、二つの声部に同じ旋律をタイミングをずらして置いても不都合ないように作る対位法で、「輪唱」もカノンの一種。先行する声部に対して後続の声部がどんな音程で導入されるかによって「 8度のカノン」、「10度のカノン」、「12度のカノン」といった様々なカノンが考えられる。

 反行と拡大によるカノン…先行する声部の旋律の「反行拡大形」を後続の声部に置いたようなカノン。

 <フーガの技法>に収められた14曲のフーガには、ここに挙げた様々なフーガ書法が複合されて用いられており、時にそれは、きわめて難度の高い対位法的挑戦となっている。これらのフーガをバッハが敢えて「コントラプンクトゥス(対位法)」と名付けているのは興味深い。全曲の最後に演奏されるコラール前奏曲「われら悩みの極みにありて(汝の玉座の前に今や歩み寄り)」BWV668aは、バッハが死の床で口述筆記させたと伝えられる曲で、1751年にこの作品が出版された際に巻末に掲載されたものである。


コンスタンチン・リフシッツ Konstantin Lifschitz (ピアノ / Piano)

 76年ウクライナのハリコフ生まれ。5歳で名門グネーシン特別音楽学校に入学、名教授ゼリクマンの感性豊かな指導を受けた。13歳でリサイタルを行い、この時のライヴCDが95年のドイツ・エコー・クラシック最優秀新人賞を獲得。90年に国内外での演奏活動を開始。指揮者のスピヴァコフに認められ、モスクワ・ヴィルトゥーゾの演奏会および91年の日本ツアーにソリストとして参加した。その後もスピヴァコフ指揮モンテカルロ響との共演、テルミカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィルとのヨーロッパツアーなどに参加した。94年、グネーシン特別音楽学校の卒業記念リサイタルで、バッハのゴルドベルク変奏曲を演奏。この曲のCDは96年米国グラミー賞にノミネートされた。リフシッツはリサイタルや世界主要オーケストラとの演奏活動を重ねる一方、クレーメル、ヴェンゲーロフ、コパチンスカヤ、マイスキーなどと共演している。96年にはアルゲリッチの代役としてクレーメル、マイスキーからも指名され、ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲を熱演。ウィーンデビューを飾るとともにその後1ヶ月にわたるヨーロッパツアーにも同行し大成功を収めた。
 98年、東京で開催されたショスタコーヴィチ・フェスティバルにおいてロストロポーヴィチ指揮新日フィルと共演。ロストロポーヴィチは翌年のシカゴ響定期演奏会にリフシッツを招いた。近年はサンクトペテルブルグ・フィル、ベルリン響、シュトットガルト放響と共演するほか、ロンドンのウィグモアホールをはじめとする世界有数のホールでのリサイタルや、リール音楽祭への出演、ラインガウ音楽祭での「バッハ・チクルス」を継続している。

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凍てつく寒さに、光るもの 『ジャン・ブリカールの道程』 ジャン=マリー・ストローブ ダニエル・ユイレ

この冬は寒いです。三月でもなかなか。正月に茨城の田舎の実家に帰ったら、婆さんが入院していてちょうど空いた離れに泊まりました。田舎の家なんで、壁が無い、障子と襖で出来てる。そんでもっていつも泊まる客間の大広間は、人の動きが直に伝わってきて煩いので、母親が気を遣ってくれたわけ。

もう婆さんも100歳出し、あの病院はいつまでも居られる病院らしい、母親の母親もあの病院で死んだし。まあでもそれも人生。見舞いに行っても結構元気で、短歌などを書いていた。

だが田舎の家は寒い、とにかく寒い。特にお風呂が寒い。なんせ風呂なしアパート住まいとは言え、銭湯にしろジムのジャグジーにしろサウナにしろそういう代物に入っているわけで。まああ寒い。

昼間は縁側で日向ぼっこをしながら、本などを書いていたが。ちょうど高台にあって、昔は竹林とか、杉の木とかが邪魔で見えなかったのだけれど、この所、親父が退職してから、庭もきれいに、辺りの竹林も、藪も、屋敷森も綺麗にしてしまったので、地平線のあたりまで見えるほど眺望が良い。

特に前は、畑。柿畑で柿の木が葉を落とし、じっと佇んでいる。その姿にふっと惹かれたわけで、まあ、柿とりように、低く地を這うように、何本もの柿の木が向こうに続く。その先には、家のでは無いけれど、桑畑。葉を落とし、蚕の餌で新しい枝が切り落とされて、その高さで固定して地面から生えたコブシのようにゴツゴツした塊。そこから白い針金のようにすっと伸びる、何本もの細い枝。

凛とした空気の中、ただ立っている木の、その姿が妙に美しい。ああこれってどっかで見たなあと思ったのが、『ジャン・ブリカールの道程』

ちなみにこんな映画
ジャンブリカールの道程
ジャン・ブリカールの道程
Itinéraire de Jean Bricard 2008年(40分)
監督/ジャン=マリー・ストローブ ダニエル・ユイレ
撮影/ウィリアム・ルプシャンスキ
ジャン・ブリカールは1932年にロワール河近辺で生まれ、その地域で暮らし、92年に引退するまでヴェルト島の砂質採取事業の責任者だった。ドイツ占領期などの過去を振り返る彼の談話は、1994年2月24日に社会学者ジャン=イヴ・プチトーが録音したものである。

ドイツ、コトン島と言うロワール河の島を、ボートにカメラを据えて走りながら、じっと写し続ける。そんでもって船でぐるっと回って、まあ島に上陸して風景を写していく。湿った、どんよりと重い寒さの、冬。雨がふってたかな? でもどんよりと霙のような。

ただ、それだけなんだよね。

初めて見たときは、あのあまりに厳しいモノクロームの冬、寒さは、つらかった。
ただ、なんかで読んだんだけれど、ボートの上であの撮影をするのは至難の技らしいです。不安定だし、更に動いているわけだから。一瞬の気の緩みも許されない、ただ撮っているようで、そこには冬の寒さより厳しい撮影の気迫があるのかもしれない。

その厳しさ。それは凍てつく冬の寒さによって鍛えられる。枯れ木の枝のその微妙な陰影。東京への帰りに、車で常磐道を走りながら、ずっとそんなことを考えながら見てたら、利根川を渡ると、枯れ木の風情も優しくなって、ぼんやりと美しく無くなる。あったかいのね。

やっぱり、凛とした美しさは、厳しさの賜物なのやもしれん。

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諦めより、深く・・・くるしみ。 俳優座公演 チェーホフ『ワーニャ伯父さん』

ちょっと前、9月に俳優座で、『ワーニャ伯父さん』の公演があって、ずっと前に『三人姉妹』見た時はいまいちだったんですけど。知り合いの志村さんがアーストロフ役で出てて、まあ見て見ようかなあと思って、久しぶりに俳優座アトリエです。

ワーニャ伯父さんって、初めてだと筋が良く分かんなかったりするんですよね。『森の精』って言うチェーホフが前に書いて「この劇を私は憎悪している。忘れようと努力している」なんて感想をもってる戯曲の書き直しです。

大きく違うのは、「森の精」だと不幸なワーニャ伯父さん(名前は違ってたと思う)が自殺して、その自殺によってみんなが改心して、まあ目出度し目出度しみたいに円環が閉じてる。ちょっとシェークスピア喜劇みたいな匂いもする。
でも、『ワーニャ伯父さん』では、自殺に失敗する。円環は閉じないんです。死ぬことも許されない。
人生に裏切られ、みんなが去って行く。恋に破れた姪のアーニャと二人。残された農場で、もくもくと働き出す。

悲しいんです。何とも言えない、それは諦めでさえない、もっと深い苦しみ。アーニャの台詞。

アーニャ  「運命が私たちにくだす試みを、辛抱強く、じっとこらえていきましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに人のために働きましょうね。
そしてやがて年をとったら、素直に死んでいきましょうね。

あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなに辛い一生を送って来たか、それを残らず申し上げましょうね。
すると神様は、まあ気の毒に、と思って下さる。

そのときこそ伯父さん、あなたにも私にも、明るい、すばらしい、なんともいえない生活が開けて、まあ嬉しい!って思わず声を上げるのよ。

そして、現在の不幸せな暮らしを懐かしく微笑ましく振り返って、ほっと息がつけるんだわ!
わたし、本当にそう思うの、心底、燃えるように、焼けつくように、そう思うの。
・・・・ほっと息がつけるんだわ。」
                                   (『ワーニャ伯父さん』神西清訳)

何回か見てるんですけど、俳優座の公演で意外だったのが、ワーニャ伯父さんの林宏和さん、二枚目なんですね。今までだと、昴の北村総一郎さんだとか、黒テントでは柄本明さんだったり、まあ「おじさん」ぽい人だったのが、そうじゃあない。
でも、演劇の異化の力だと思うんですけど、苦しみの深さが、一番伝わってきました。熱演だった所為もあるだろうけれど。ラスト、帳簿をつけながら、働き。苦しみを湛えたアーニャの台詞に、本当に涙が堪えられない様にも見えて。
演出と翻訳を兼ねた、袋正さんの、力の賜物だとも思います。久しぶりに良いチェーホフでした。

年に一回ずつチェーホフ連続上演があるみたいです。面白そう。

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剃刀の刃のように、極めて極めて、 ジャクソン・ポロック

近代美術館で、「ジャクソン・ポロック展」やってました。生誕100年、日本初のポロック回顧展なんですね。
polloc pic 

日曜の昼に行ったんですけれど、結構空いてました、ゆっくり見れた。それにそんなに多くないんですよ、ゆっくり見るにはちょうど良い位。久しぶりの近代美術館、広いし、でも、併設のクィーンアリス アクアは閉店でした、景気悪いのね。皇居のお堀が見えて、良いところだったんだけれど。

ポロックって言うと、上のアクションペインティングの絵しか浮かばなかったんですけれど、初期の絵から見れて、そこは面白かったかな、でもやっぱり価値あるのは、50年ころの、上の絵の頃の作品。

床にキャンバスを置いて描く。上下も左右もなし、ただの軌跡。それが精神の軌跡に昇華した、それがポロックの絵なんだと思う。
知らんかったのだけれど、その描画法って、ピカソへの対抗意識から生まれたとか。アメリカが世界の中心へと向かう、そんな時代の流れから生まれた。

でも、危ういんだよね、特に晩年と言われる、黒が基調になった頃から、なんか行き詰まりと言うか、切迫感が異様に強い。息苦しいかな。
まあ、その後、止めていたアルコールに手を出して、自動車事故で亡くなってしまう。

そんな事を言っても仕様がないのかもしれないけれど、もし、ポロックがもっと歴史のある国にいたら、その悲劇はどうだったのかな? って思った。もしルーブルがあって、絵と会話できたら、なんて無意味なんだけれど、行き詰った時に、そんな事をすると、なんとなく先に行けるような気もする。
それはそれとして、一つの軌跡しか残せないのが表現者だし、そういう意味でアメリカの光と影を背負ったような表現者として、凄い、と言うのは簡単だけれど、なんかそれもつら過ぎるように思う。

こんな不景気な時代に、確かに文化とか、飯の種にもならんし、まあ、無駄な補助金だとか詰らないもんが沢山あるのも事実だけれど、美術館とか文化とか歴史ってのも、本当につらい人間には、何か支えに成る様な気もしました。

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悪意・攻撃 美の中に美しさとして輝くもの フェルメール

文化村で「フェルメールからのラブレター展」。初めて公開の「手紙を書く青衣の女」。

「妊娠してるよね。」まずそう思った。やさしい絵。夫からの手紙かなあ、とか。でもやっぱりなんかつまらない。
フェルメール 青衣の女

「手紙を書く女」
黄色は、娼婦の色、不貞の意とも。真珠は虚飾の象徴とか。
フェルメール 手紙を書く女

なんかでも、こうやってブログ書いてて二枚を並べると「青衣の女」の方が静謐で良いようにも思うのだけれど、やっぱり本物を見ると、断然、「手紙を書く女」のほうが迫力がある。
ただ、この絵は、背景がちょっと手抜きなんで、そこは見劣りするんだけど。かすかに光るイヤリングの真珠に反映する光とか、そっとおかれた左手のその流れとか。

表現って、つまりは再表現なので、結局は起源がいる。その起源に近づくこと。西洋絵画は、まずダビンチやミケランジェロが、遠近法でその起源に近づいたんだと思う。
遠近法は立体化された理想の空間を前提とする。そこには静謐な世界が展開する。後にニュートンからカントへと安定した空間と時間の世界が定義されるけど、そんな世界。
ルネッサンス以降、カラバッジオがたとえ娼婦や浮浪者をモデルに聖書の絵を描こうと、それは静謐な世界だ。

しかし内面、精神はより多面で、その動きは、嵐にも似ている。もしその精神自体をも立体化し、精神の意味を遠近法で描くならどうなるか。

フェルメールの絵画は、描写としての完璧な遠近法。そして、嵐のような精神の多様な面、善だけでなく「悪」をも深く含み込んでしまうような、そんな力強さで描かれたんだと思う。
もちろん、そんな詰らない事は、これっぽちも考えずに、ただ、現実・真実に忠実にね。

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2012年3月11日 東日本大震災から一年です。

方丈記に曰く「月日かさなり、年経にし後は、言葉に懸けて、言い出づる人だになし」とは元暦の大地震の記述だけれども、まあ確かに、被災地は別として、年を経るごとに、忘却の彼方へとなってしまうのも致し方ないのかなあ。と特にここ東京ではそうも思います。ただ、今もって、出かける時は、ガラス食器は、きちんと固定。揺れが分かるように、見える所には、水を入れたペットボトルが置いてある、窓ガラスには、透明テープで補強してあるし。

でもまあ、本来の、大地が揺れる国に生きている、と、その普通の状態に戻っただけなのかもしれんなあ。

「神は老獪にして悪意を持たず」はアインシュタインの言葉だけれど、神はまさしく自然。喉に刺さった骨のように、でも窒息しそうな痛みもって、原子力。E=mc2が原子力と結びつくと、その発見から30年後、亡命中アメリカで言われたアインシュタインは「ほんとうかね?」とまわりの人みんなに呆れられたそうだけれど。※

科学とか、万能な筈はなく。自然は、気まぐれな神々のように老獪で、ただ「悪意」もなく、ただ淡々と、起こるべき事を起こしているに過ぎない。

欲望が、それを引き起こしたとか、犯人探しは、どうでも良いとして、またその事も、自然の一部に過ぎない。人間も、傲慢にも自然を「対」として志向するけれど、所詮は、それもその巨大な機構のささいな一部であって、巨大な大河の流れに起こるさざ波のようなものにも思う。

ゴダールの『愛の世紀』にこんな台詞がありました。老夫婦の会話
老人「欲望もいつかは疲れ果て、」
老女「道化だわ、」
老人「真実と出会う。」
老女「わたしたち、みんな道化。・・・問題に耐え、生き残る」

※『アインシュタイン選集3』共立出版 アインシュタイン小伝より

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『フォーク 回想』 古口圭介 主演だよ

●公演内容● ジョゼフ・コンラッド『フォーク ある回想』を一人芝居として上演する。

●あらすじ●
19世紀後半、船乗りのマーロウ(語り手)は、イギリス領事の命で、船長としてバンコクに派遣される。
そこには、ダイアナ号の船長ヘルマンと神聖な家族、美しく巨大なその姪。唯一の曳き舟の船長フォーク。ホテル・レストランの経営者で、フォークを嫌う商人のショーンバーグらが居る。

フォークは、ヘルマンの美しい姪に恋している。しかし、過去の恐ろしい事件を告白しなければ求婚できない。そして、マーロウを恋敵として嫉妬し、船を曳く事を拒否する。マーロウとフォークはショーンバーグのレストランで話し合い、マーロウが求婚の仲介をする事で話がまとまる。

フォークが、求婚のあと告白する「10年前、俺は人を食った。」と。ヘルマンは烈火のごとく怒り、女たちは泣き崩れる。マーロウはフォークを追い出す。

フォークは、マーロウの船で待っている。マーロウが戻り。フォークが告白をはじめる。

●公演意図●
コンラッドは作中でいっています。「小さなボートや弱い船を襲う難局は、密接な接触や、差し迫る波の脅威によって、人間を一つに引き寄せる。しかし、フォークの場合、そこには安全で便利で広い船が有った。ベッド、食器類、居心地の良い船室、コックの調理場、それが飢餓と言う無慈悲な亡霊に侵され、支配され、取りつかれていたのだ。」と。
差し迫った恐怖は、人間の「連帯の面」を強調するし、多くの演劇や映画はそこを好む。しかし、より現実の世界、安全で広く隠れる場所が十分にあり、画策や策略が可能な世界で、重要な物が奪われるとき、そこでこそ本当の人間の、赤裸々な姿が暴露されていくのではなしでしょうか。
今回は、そんな赤裸々な人間の姿、真実の姿を、直接的に描ければと思います。

前回『千羽鶴』は「女」でした、今回は「男」です。生きること=勝つ事。そして、生き残り、生き続けて行く時に、どうしても必要とされた「告白」と「求婚」。それを通して「生き続けて行く事」を表現したいと思います。



●作家 コンラッドに関して
 ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad, 1857年12月3日 - 1924年8月3日)はイギリスの小説家。ジョウゼフ・コンラッドとも表記される。40歳前に船をおりる。海洋文学で知られ、作品には『闇の奥』、『ロード・ジム』、『ナーシサス号の黒人』、『文化果つるところ』、『密偵』などがある。

コンラッドに関して、「松岡正剛の千夜千冊」に以下の文章がありました、『闇の奥』の解説かな。引用です。
ジョーゼフ・コンラッドは筆名である。本名はテオドール・コンラード・ナレツ・コジェニオフスキーという。この名はポーランド人の名だ。船乗りだった。20歳のころにイギリスに入り、英語をおぼえ、イギリス船員として16年を海上ですごして、陸上に戻ったときはイギリス人になっていた。

 コンラッドの宿命はポーランドを背負ったにとどまらない。父親のアポロ・コジェニオフスキーはポーランド独立運動の急進派で、1862年に政治秘密結社の摘発をうけて、一家全員が北ロシアの極寒の地ヴォロガダに流刑された。母親は結核を患って32歳で死に、父親もその4年後にやはり結核で死んでしまった。少年コンラッドはロシア、プロシア、オーストリアを憎み、祖国ポーランドに属せない日々をおくった。この幼い日々に刻まれた民族的感情は『密偵』『西欧人の眼に』などとして、のちに浮上する

 12歳で孤児となったコンラッドは母方の伯父に引き取られ、クラクフで大学進学までを用意されるのだが、そんなお定まりの方針には従えない。15歳でドイツ・スイス・イタリアを旅行して、ヴェネツィアで初めて海を見てたまげた。17歳でマルセイユに行ってフランス船の船乗りになり、20歳で恋愛が決闘につながるのを知って、21歳でイギリス船に移った。コンラッドには大地がなかったのだ。 コンラッドを海洋作家とみるのはまったく当たっていない。たしかに海の描写はすばらしい。その表現は豪宕(ごうとう)ですらある。しかしコンラッドは「負のポーランド」を通して、つねに大地を描こうとしていたといったほうがいい。その極致が『闇の奥』なのだ。

ところで、『闇の奥』はながらくオーソン・ウェルズが映画化の構想をもっていたのだが、実現されなかった。そこでスタンリー・キューブリックがその実現をはかったのだが、それも叶わず、『2001年宇宙の旅』の後半部にこれを翻案してとりこむにいたった。よほどアフリカの闇を描くのが困難だったのであろう。さらにフランシス・コッポラはなんとか『闇の奥』に着手しようとするのだが、やはりできず、思いなおして全面的に翻案し、舞台をベトナム奥地の戦乱に移し替え、『地獄の黙示録』として映画化に成功した。『闇の奥』はオーソン・ウェルズ、スタンリー・キューブリック、フランシス・コッポラに継がれて、なお原作の映画化を頑なに拒絶しつづけているのである。
以上

また、光文社古典新訳文庫の『闇の奥』の解説によると、ゴールディング『蝿の王』、村上春樹『羊をめぐる冒険』、また『1Q84』にも似た場面があるそうです。

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