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ゴダール “adieu au Langage”

邦題「さらば、愛の言葉よ」。

ゴダール初の3D、立体映画。

3D自体、初めて見たので、「ああ、ほんとに眼鏡かけるのね?。」何て事を思いつつ・・・。

「コザカシイ!」。そんなに見える必要が有るのかなあ? 立体で見えると面白いのは確かかもしれないが、必要なのかなあ、それって?

「リアル」である事と、「芸術」である事とは違う。「ヌーヴェルヴァーグ」や「新・ドイツ零年」では芸術は横溢していたし、「愛の世紀」でも確かにそれは「有」った。

でも、どうかなあ。

眼鏡、外してみると二重になって、ぼんやりしてた。でも、その方が、何か此方に迫って来る迫力がある。

「2Dで見ると多くの物を失う。」(カイエ・デュ・シネマ)
でも、それで残った物が重要な、何か。かなあ?
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『香りも高きケンタッキー』ジョン・フォード

東京国際映画祭の一環で、京橋のフィルムセンターでの上映。

1925年製作のフォードの無声映画。

こんな時代に、まあ無声映画だし、空いてるだろうと思って行ったらビックリ。

同じくフォードの『誉れの一番乗り』との連続上映。
『誉の一番乗り』『ケンタッキー』の順で、だったら両方見よう。

それで、「誉れ」の30分前に行ったら、「ええ! 並んでるし。」
「立ち見は無しなので、ご覧に成れるかどうかは分かりません。」と案内の方。
別の列もあり。「あちらは17時の回(ケンタッキー)のお客様です。」。

「うーん、どうしよう?」、誉れをみたらケンタッキーは見られないかもしれない。
列を離れました。

ただねえ、フォードって言うか、自分は映画をそれほどは好きじゃあないんだなあ。
先日行った、三井記念美術館でまだ「老子図」「叭々(はは)鳥図」が見られる。ちょうど次の日で展示替え。京橋からだと歩いて行ける距離だし、見てから戻って、もし見られなかったら、まっ良いか。

それで、三井記念美術館に行って、二時間前には戻ってきたら、大丈夫でした。でも映画で並ぶなんてねえ。牧谿の絵が、中国に残っていないように、真に美しいものには日本人は敏感なのかなあとか。

「香りも高きケンタッキー」

「如何にも美しく、親しみ易く、誰でも真似したがるが、誰も真似る事ができない」
フォードについてじゃ無くて、ゲーテのモーツァルトに対する言葉(小林秀雄『モオツァルト』)。
ゴダールの『フォーエバー モーツァルト』もフォードに関する映画だったかなあ。

さりげなく撮っているようで、おそらくフォードはさりげなく撮っているだけ何だろうけれど、あの馬たちの戯れは、もう二度と現れる事がない美しさを持ってしまう。それは、一つの表現様式の創世期に生きた人間だけにゆるされた特権なんだと思う。

ただ、ヒッチコックの「たかが映画じゃあないか。」ってな感覚が、フォードの映画にもある。
映画が持つ楽観性かなあ?

ゴダールは映画史自体は、グリフィスとロッセリーニに分類されると言っていたそうだけれど(蓮実重彦氏の講演より)、グリフィス系統の映画には、映画のもつその楽観性がどうしても着いてまわる。

「かなしみ」かなあ。「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」小林秀雄の言葉だけれど、そういう「かなしさ」。それがあるかどうかって事なのかなあ。

素晴らしい映画だとは思います。物語自体も、それ以降のハリウッド映画の模範になったとも思います。
でも、やっぱり、好みではないかなあ。家に帰って、ロッセリーニの『ドイツ零年』とかをちらっとネットで見てしまいました。こっちの方が好み。

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ジョン・フォード『静かなる男』『駅馬車』

久しぶりにフォードの映画を見ました。監督生誕120周年記念、デジタルリマスター版。

男の世界なんだよねえ。友情、恋愛、連帯、喧嘩に和解。幸福と言うものが、静かにその根っこにしっかりと生えている世界。

フォード監督はハリウッド映画の創世記から映画に携わり、グリフィス『国民の創生』ではエキストラだったとか。

『静かなる男』ストーリー的には、ええなんで?って言う展開です。

主人公のJ・ウエインが金に煩いモーリン・オハラと本当の夫婦?になるまでを様々なエピソードとともに叙情豊かに歌い上げた作品かな。

良い人ばかりの町だし。喧嘩に、賭け事。競馬レース。釣り。3時間も4時間も遅れる蒸気機関車。金持ちの未亡人に。小うるさいモーリン・オハラの兄。

でも最初に、故郷に戻って来たJ・ウエインが羊飼いのモーリン・オハラを見初めるシーンとか、競馬レースで馬が走って来る様子を俯瞰で捉えるシーンとか、フォードはただ単に何気なく、まさしく自然に撮ってるだけなんだろうけれど、映画だけが持つ「広がり」を感じる。演劇ではあの「広さ」は不可能だし、絵画・写真で「動き」は真似できない。

『駅馬車』これは1939年の映画、『風と共に去りぬ』と同じ年かな。
フォードは無声映画からの監督だから、画面だけで会話させる方法を血のように持っている。今見ると、ちょっと不思議な「間」を感じたりもするが。

「見る」だけで、すべてが伝わって来る。現金を横領して逃げようとする銀行の頭取を最初に捉えたシーンで、ニヤリと笑うショットが挿入されると、それだけで、こいつは悪人かとなる。



フォードの映画には、そう言う奇跡的な場がちりばめられている。

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成瀬巳喜男『杏っ子』『おかあさん』 香川京子さんトークショウ

9月に池袋の文芸坐で成瀬巳喜男監督の特集がありました。日曜しか休みがないし、ちょうど香川京子さんのトークショーもあったので朝から池袋でした。

久しぶりに『杏っ子』、しかし暗い映画だ。好きだけれど、あの暗さ。木村功さんのダメ男ぶりがいい。女々しいというか、なんなんだろうんねえ。あのダメさ。最後のほうでちょこっと出てくる、千秋実さんのダメっぷリも胴に入ってた。

『おかあさん』。田中絹代さんって、凄い女優だなあ。ちょっとした翳り、陰影がすごい。
ただ台詞になると、どうしてだろう、どうしても説教臭さを感じてしまう。それでもって、どこかちょっと苦手だったんだけれども・・・。

香川京子さんと、山根貞夫さんのトークショウ。
香川さんが言っていた。「静かでした。」撮影の風景。
youtubeにあった仲代達也さんのインタビューでも、成瀬さんの特徴は「静けさ」だと言っていた。

9時~17時で、毎日きちんと終わる撮影や、中抜きをしないとか、それは一切の無駄がない、と言うう事?。
山根さんが質問で、「指示とか怒号とか、ほら撮影所ですから、照明、音響その他いろいろある訳で、指示をしないとそんなにキチンとはねえ、出来ない筈で。でも静かだったんですか。」
香川さんも少し困った風で、でも頷いてました。

成瀬さんの映画の凄い処は、その自然な流れなんだろう。
緻密な計算とかではなくて自然にできてしまう計算。数字がもつ自然な美しさのような流れが、その奥でかすかに胎動している。だから人が自然に、そのままの物として目の前にいる。

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Like someone in Love

こういう作品をみると、やっぱり素晴らしいと思う。なにが凄いかって「人」が描けている。その事。



『ライク・サムワン・イン・ラヴ』監督・脚本:アッバス・キアロスタミ  出演: 奥野匡、高梨臨、加瀬亮

公式サイトです。

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Author:オカダヒサオ
本書きです。公演もする事になりました。

公演情報と、その他もろもろ、書きます。

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